≪ 山の子の詳細 ≫


「山の子」とは?
1. 五穀豊穣を感謝し、山へ入る事に対して無事を祈る。
2. 松明の火を奉納して、こどもの無事成長を感謝する。


全国的に、山には山の神、田には田の神の信仰がありました。
稲刈りが済む 11月頃から山仕事に入り、入山してからトラブルが起きると、それは山の神のたたりと思われ、
入山前に山の神様の機嫌を損なわないように祭事を行っていました。
山仕事の依存度の高い地域は、大人の男性が行う祭事でしたが、その割合が低いこの地域では、男子の行事になったようです。
名称の
「山の子」「山の神」 が変化したものです。
山の子 は年代や村々により形態が変化していますが、その本質はどこも同じです。
それは、祭事を通して年長の子が 少年の子の面倒をみることにより、いわゆる 「縦の関係」 が出来ることです。
また、親は危険のないように見ているだけで、ほとんど手を出しません。




山の子は いつからあったのか???
山仕事の多い地方では、大人の男性が祭りをします(山の講)が、この辺りは山仕事の割合が少なく、男の子がその祭りを伝承してきました。
子供がするから 「山の子」 と云われるようになったみたいです。

野一色の 山の子 の歌はいつ頃からあったのか 明治生まれのお爺さん伺ったところ、
そのお爺さんの お爺さんの頃も同じ歌を歌っていたとの事ですから、少なくとも
江戸時代から続いています。

昭和20年頃までは小学校高等科2年(今の中学2年)、その後は中学3年生がすべてを取り仕切って行いました。
リヤカーを引いて地域の家に、小豆・砂糖・お米・野菜・お菓子などを集めに行き、料理の一部は親に手伝ってもらい準備をします。
神社で松明を奉納した後、全超寺へ場所を変え、夜遅くまで食事をしたり、歌を歌ったりする一時は、
野一色の男子にとって晩秋の一番楽しい行事でした。
欧米諸国の 「ハローウィン」 にどこか似ています。

地域の都市化、学校の勉強の忙しさなどで、
野一色が昭和30年代半ば、
琴塚が30年代後半、
水海道が40年代前半
で行われなくなりましたが、日野はずっと続いています。

平成6年度からは、野一色、前一色、長森本町の女子を含めた 長森北こども会が、山の子を復活させ伝承しています。
また祭りの内容も五穀豊穣への感謝、こどもの無事成長への感謝も含まれるようになりました。



山の神様はどんな神様か?
山の神様は ある日、何人かの 女の神様と 誰が一番きれいか 較べっこをしました。
山の神様は、自分は なかなか良い女だと思っていたのですが、そうでないことが分かりまいた。
ショックだったのは 一番ブスだと みんなから言われていた神様より 自分の方が酷い女とわかったことでした。
ほかの神様達に からかわれた山の神様は 怒りに起こって山の中へ隠れてしまいました。
山の神様は、4月ごろから11月ごろまで 田の神として 田畑に見えるそうです。
そして稲の収穫が済むと山へ入って  山の神になられるそうですが その年は大変でした。
日照りと洪水で作物は全滅です。毎年 山でたくさん採れるキノコなども 全く生えません。
また、木を切ったりする山仕事や、鉄砲や刃物を使う猟では 怪我人が何人もでました。
村人は困ってしまいました。連日連夜 「あーでもない」 「こーでもない」 と相談しました。
山の神様が へそを曲げてしまっているのが原因だとは分かっています。
そこで 神様のご機嫌をとることは何でもやってみることにしました。

   ・ぼた餅、野菜、お米などを供え、お酒を飲んで楽しく歌い踊る。
   ・オコゼやメザシのように見た目の悪い魚を供える。
   ・ちょっとHな歌を歌う
   ・大きなオチンチンを木で削って供える
   ・子供達と楽しく遊ぶ
 
などと、いろいろやったところ ご機嫌が直り、収穫が増え、山仕事での怪我も無くなりました。
ただ、山の神様の 祭の日に、きれいな女性がいると また ご機嫌が悪くなるそうですから 気を付けないといけません。
だから、山の子の日に みなさん(主役の小学生)のお母さんは お祭りの場所に入ってはいけないのです。




昔話し(かなり方言混じりなので、分からないかも?)
むかし、この辺りの山に女(オナゴ)の神様がござってなも。
いつもは 野一色山にござるんやが、4月ごろ田畑の仕事が忙しい頃になると、田の方へ降りてござって、作物を守ってくんさったんやな。

田植えの頃になって、「水が欲しいな。」 と思うと  雨がザーっと降って、村の人は、「ええ おしめりやな。」 と喜んで。稲を植えたもんや。
稲や畑のイモが すくすく育っちょるなぁ と喜んどるとさいが、今度は虫が付いたり 病気が付いたりや。
困ったなと思うと、いつか虫もおらんようになってなも。
夏の、風に揺れる稲を見てな、村のもんは
「今年も豊作やな。田の神さんが守っちょってくんさるでな。 といつも感謝しちょった。

ところがなも、おまはん。えれえ事が起きてなも。
ある年のこと、この辺りに住んでござる神様がより集まりんさってなも、べっぴん較べになったんや。
まあ、いまで言う美人コンテストっちゅうやつやな。
それが ちょこっと グええ悪い事になってなも、ウチの山の神様は、日頃から 自分はかなりのベッピンの方やと思ってござったらしいのやなも。
美人較べでエエとこへ行ける と思っちょりんさった。
ところが、寄ってござる神様を見るとさいが、どの神様も、みんな自分よりベッピンばっかりやがな。
ビックリするやら、悔しいやら。でぇれぇ ショックで、神様は山の奥の方へ 隠れてまいんさったんや。

その年はなも、田植え時になっても おしめり がのうて、田越ししても土が硬とうて、田植えどころか、しろかきも出来ん。
イモの苗は植えても植えても枯れてしまうし、作物は全滅や。
山へ まつごかきに行った子供が、落ちてきた岩に当って、でぇれぇ怪我をするやら、コケ取りにいったお婆さんが神隠しにあうやら、ろくなことあらへん。
「山の神様が、はよ 田へ 出て来てくんさらんと、ワッチら食って行けーへん。」
「おまはん、そう言んさるけど、山の神様のご機嫌が直らんとなも。」
「どうしたもんか、みんな寄って、かんこうしよまいか。」
村の衆は お宮で寄りえぇ を開いてなも。そりゃあいろんな意見が出たんな。

まず みんなでお願いする事になった。
「松明を持って行くとさいが、大勢に見えるやろ。」
「その時 神様が喜ばっせるような歌も歌おまい。」
「そうすると神様が 何じゃろう?と思って覗かっせるぞな。」
「何ぞお供えがあるとえぇな。」
「そりゃあえぇかんこうや。格好えぇ魚より、格好悪いもんの方がえぇぞな。また、神様がひがまっせるといかんでなも。」
「来月の月夜の晩に寄ろまいか。」

そうして、相談通り村の衆は大勢で 次の満月の夜、手に松明を持って 山の神様にお願いをしたげな。

それからは、神様はご機嫌を直してくれんさってなも、また、前のように田の方へ出て来てくんさるようになったんやんな。
それからというもんは、大人は忙しないもんで、毎年 男の子んたぁが、山の神様へのお参りをするようになったげなわ。
どうな?、何で女(オナゴ)はおらんのやってか?
そりゃあ、ここらの女の子はベッピンが多いでな。神様が また ひがまっせるやわ・・・。



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